外で働くようになっても腹痛は抱えたままでした
腹痛だけではなく背中まで痛むようになりました
ホステス時代に一度胃腸科で診てもらいましたが精神的なのもと診断され
薬を処方されましたが良くはなりませんでした
それからも詳しい検査を受けることもなくただただ痛みに怯えていましたが
私が37歳の時に母が病に倒れました
体に異常が起きてまともに日常生活が送れないのに病院に行こうとしなかった母を見て
このままでは将来必ず母と同じ姿になる、こんな死に方はしたくない
そう強く思いました
そうしてやっと医療に頼ろうと決心しました
私はすぐに詳しい検査を受けました
結果は十二指腸潰瘍でした
1ヶ月間処方された薬を飲んだらすっかり良くなりました
ピロリ菌も陽性でしたが陰性になりました
20年ぶりくらいに痛みから解放されてまともに生活が送れるようになりました
今までなんでこんな苦痛を受け入れていたのか
今までの痛みに苦しめられた時間や人生は戻ってこない
そもそも日常を苦しいままで送ることが本当に信仰なんだろうか
やっと宗教に対して疑問を持ち
目が覚めるように洗脳から抜け出す感覚がありました
自分のことを犠牲にしてまでも宗教を優先することは信仰心からではなく
それは幼い頃から親に植え付けられた恐れからでした
結局のところ宗教に洗脳されていたというよりは
両親の曲がった宗教観に洗脳されていたと言った方が正しいと思います
いくら良かれと思って親心からしてきたと言っても
結果子どもに不利益があるのならそれはもう親のエゴです
子どもに現実に起こっていることが自分の宗教観と相容れず
親として受け入れられなかったようですが
それは宗教が理由ではなく単に親になりきれなかっただけではないかと
普段の生活の中で制限をかけて気をつけながら生きている身としては
医療や薬に頼って体の苦痛から離れることでやっとまともに生きられるんだとわかりました
そうして生活の質が上がると、人生の質が格段に良くなった感じがしています
医療に頼ろうと決めた日の朝に私の体に起こったことがあります
ほっとしたのだと思いますが
体から緊張が抜けて今までにないくらい体が軽くそして温かく感じました
それまで何か不調があっても耐えてやり過ごすしかなく
いつどうなるかわからない不安を抱えていましたが
もう1人で不安にならなくていいんだと心身ともに安心したようでした
私が思春期の頃、母に口答えをして大人の矛盾をつくと母からいつも
「反面教師にすればいいじゃない」と言われていましたが
まさしく反面教師になりました